🌿 静かなる熱狂──1905年から1910年、野球が育んだ時代の記憶
1905年、メジャーリーグは再び動き出した。前年にワールドシリーズが開催されなかったことで、ファンの期待は高まっていた。 そしてその期待に応えるように、ニューヨーク・ジャイアンツのクリスティ・マシューソンが3試合連続完封という偉業を達成。シリーズはジャイアンツがアスレチックスを4勝1敗で制し、投手の時代が本格的に幕を開けた。
🧢 レギュラーシーズンの風景(1905〜1910)
この時代の野球は、今とはまったく違う。 ホームランは年間10本前後、打率は.350を超える選手が珍しくなく、盗塁は60〜70個が当たり前。 投手は先発完投型で、30〜40勝を挙げることもあった。防御率は1点台でも、奪三振は少なめ。打たせて取る──そんな静かな力が支配していた。
理由はいくつか考えられるが、球場が広かったことと飛ばないボール”デッドボール”の時代が大きく影響したと思われる。
🏟️ 球場の広さ
当時の球場は、今では考えられないほど広かったんだ。
- シカゴ・カブスのウエスト・サイド・パークは、センターまで約170メートル(560フィート)。
- ボストン・レッドソックスのハンティントン・アベニュー・グラウンズは、なんと192メートル(635フィート)もあった[1]。
タイ・カッブが「誰がこんな球場の外まで打てるんだ?」と嘆いたという逸話も残っている。
⚾ ボールの性質(デッドボール)
- この時代は「デッドボール時代」と呼ばれていて、ボールは飛ばない構造だった[1]。
- ボールは試合中に何度も使い回され、汚れたり、柔らかくなったりしていた。
- 投手はスピットボールや傷をつけるなど、ボールに細工をしていたため、打者にとっては非常に打ちづらかった。
- 1909年にはコルク芯のボールが試験的に導入され、1911年から本格的に使われるようになったことで、打撃成績が一気に向上したんだ。
1906年には、シカゴ・カブスが116勝という驚異的な記録を残し、ナショナルリーグを圧倒な強さを見せた。
⚾ ワールドシリーズの物語(1906〜1910)
1906年:シカゴ・ホワイトソックス vs シカゴ・カブス 「Hitless Wonders」と呼ばれたホワイトソックスが、強打のカブスを4勝2敗で破る大番狂わせ。打てなくても勝てる──そんな野球の奥深さを見せつけたシリーズだった。
1907年:シカゴ・カブス vs デトロイト・タイガース カブスが4勝0敗1分で圧勝。タイガースの若きスター、タイ・カッブが注目され始めた年でもある。
1908年:再びカブス vs タイガース カブスが4勝1敗で連覇達成。これがカブスの最後のワールドシリーズ制覇となり、次の優勝は108年後の2016年まで待つことになる。
1909年:ピッツバーグ・パイレーツ vs デトロイト・タイガース ホーナス・ワグナーとタイ・カッブの直接対決。シリーズはフルゲームにもつれ込み、パイレーツが4勝3敗で勝利。
1910年:フィラデルフィア・アスレチックス vs シカゴ・カブス 名将コニー・マック率いるアスレチックスが4勝1敗で初優勝。ここからアスレチックスの黄金時代が始まる。
🌟 活躍した選手たち──静かに芽吹いた才能
この時代は、タイ・カッブやホーナス・ワグナーのようなスターが注目されがちだけど、他にも魅力的な選手がたくさんいた。
フランク・“ホームラン”・ベイカー(アスレチックス) この時代では珍しい長打力を持つ三塁手。1910年から頭角を現し、後に「ホームラン・ベイカー」と呼ばれるほどの人気選手に。

出典;Wikipedia フランクベーカー
トリス・スピーカー(ボストン・レッドソックス) 卓越した守備力と打撃センスを持つ外野手。センター守備の名手として、後に「グラスカッター(芝刈り機)」と呼ばれるほどの守備範囲を誇った。

出典;Wikipedia トリススピーカー
グローバー・アレキサンダー(フィラデルフィア・フィリーズ) この時代の終わりにプロ入りし、1911年から本格的に活躍。抜群の制球力と安定感を持ち、後に通算373勝を挙げる名投手となる。

出典;Wikipedia グローバーアレキサンダー
エディ・コリンズ(フィラデルフィア・アスレチックス) 俊足巧打の二塁手。1910年には打率.324、盗塁81を記録し、アスレチックスの攻撃の要として活躍。

出典;Wikipedia エディコリンズ

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