
出典;Wikipedia
🕰️孤高の機関車──ウォルター・ジョンソン物語
1907年、ワシントンの球場にひとりの若者が現れた。背は高く、腕はしなやかで、どこか控えめな雰囲気をまとっていた。彼の名はウォルター・ジョンソン。後に「The Big Train(人間機関車)」と呼ばれる伝説の投手である。
⚾弱小球団での孤軍奮闘
ジョンソンが入団した当時、ワシントン・セネターズはリーグでも最弱とされる球団だった。1904年には38勝113敗という記録を残し、彼のルーキーイヤーもわずか5勝。そんな中で、彼は腐ることなく、1910年から10年連続で20勝以上を記録。1913年には投手三冠を達成し、チャルマーズ賞(当時のMVP)を受賞する。
1924年、36歳にしてついにチームをリーグ優勝へ導き、ワールドシリーズ制覇を果たす。まさに“孤高の機関車”が、弱小球団を頂点へと引き上げた瞬間だった。
🌪️見えない球と伝説のエピソード
ジョンソンの投球フォームはサイドスロー気味で、しなるような腕の動きから繰り出される剛速球は、当時の打者にとって“見えない球”だった。1917年には軍需研究所が彼の球速を時速約146kmと計測。タイ・カッブは「スイカの種ほどの大きさに見え、シューという音を立てた」と語っている。
ある試合では、ツーストライクに追い込まれた打者がベンチに戻ろうとし、審判に止められるとこう言った。
「どうせ、打てっこないから。」
それが、ジョンソンの球だった。
そしてもうひとつ、語り継がれる逸話がある。 1908年の夏、ジョンソンはわずか4日間で3試合連続完封勝利を挙げたのだ。 当時の監督が「調子はどうだい?」と尋ねると、ジョンソンは「悪くないです」と答えた。すると監督は「じゃあ、明日も頼む」と言って、彼をまた先発に送り出した。 疲れを見せず、黙々と投げ続ける姿は、まさに“人間機関車”そのものだった。
🏅記録と栄光
- 通算勝利数:417勝(1903年以降にデビューした投手では最多)
- 通算奪三振:3,509個(ノーラン・ライアンが登場するまでMLB史上最多)
- 通算完封:110試合(MLB歴代1位)
- MVP受賞:1913年・1924年(投手で2回受賞は極めて稀)
- 殿堂入り:1936年、最初の5人のうちの1人
🥇年間タイトル獲得歴
| タイトル | 回数 | 主な年 |
|---|---|---|
| 最多勝利 | 6回 | 1913, 1914, 1915, 1916, 1918, 1924 |
| 最優秀防御率 | 5回 | 1912, 1913, 1918, 1919, 1924 |
| 最多奪三振 | 12回 | 1910〜1919(10年連続), 1921, 1923 |
※最多奪三振12回はMLB歴代最多記録
📊1903年以降デビュー投手の通算勝利ランキングTOP10
| 順位 | 選手名 | 1903年以降の勝利数 | 在籍期間 |
|---|---|---|---|
| 1位 | ウォルター・ジョンソン | 417勝 | 1907–1927年 |
| 2位 | ピート・アレクサンダー | 373勝 | 1911–1930年 |
| 3位 | ウォーレン・スパーン | 363勝 | 1942, 1946–1965年 |
| 4位 | グレッグ・マダックス | 355勝 | 1986–2008年 |
| 5位 | ロジャー・クレメンス | 354勝 | 1984–2007年 |
| 6位 | クリスティ・マシューソン | 339勝 | 1900–1916年(※1903年以前も含めると373勝) |
| 7位 | スティーブ・カールトン | 329勝 | 1965–1988年 |
| 8位 | ノーラン・ライアン | 324勝 | 1966–1993年 |
| 9位 | ドン・サットン | 324勝 | 1966–1988年 |
| 10位 | フィル・ニークロ | 318勝 | 1964–1987年 |
ジョンソンは、ただの速球投手ではなかった。礼儀正しく、死球を嫌い、打者に敬意を払う“白騎士”のような存在だった。彼の三振は、ただのアウトではなく、打者の心を凍らせる“沈黙の一球”だった。
「見えないものを打つことはできません。」
それが、ウォルター・ジョンソンの時代だった。

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